眞蔵修平
ALS(筋萎縮性側索硬化症)の友人と対面して、幸せについて考えてみた。
更新日:2020年3月23日
幸福の定義について
ストレングスファインダーで有名なトム・ラスは、著書「幸福の習慣」の中で、50年以上におよぶ幸福の調査・研究でわかった、充実した人生を実現する確かな方法として、世界150ヶ国調査で共通する「5つの要素」を明らかにし、解説しています。
1.仕事の幸福: 仕事に情熱を持って取り組んでいる
2.人間関係の幸福: よい人間関係を築いている
3.経済的な幸福: 経済的に安定している
4.心身の幸福: 心身共に健康で活き活きとしている
5.地域社会の幸福: 地域社会に貢献している
また、オックスフォード大学感情神経科学センター教授であるエレーヌ・フォックスは、著書「脳科学は人格を変えられるか」の中でこう述べています。
あなたがものごとをどう見るか、そしてそれにどう反応するかによって、実際に起きることが変化する。
それが、心理学が解き明かしたシンプルな事実。しばしば見落とされがちだが、強力な事実だ。あなたの行動スタイル、ものごとのとらえ方、そして生きる姿勢こそが、あなたの世界を色づけ、あなたの健康や富を、そして幸福全般を規定する。世界を色づけ、起きることを左右するこうした心の状態を、わたしは「アフェクティブ・マインドセット(心の姿勢)」と名づけている。
これは、「幸福の習慣」の中の、「4.心身の幸福」について、より深掘りした内容と言えるかもしれません。
いずれにしても、幸福を科学によって解明した本は多数出ており、そういった意味では、人は容易に幸福の方法論にアクセスできるようになりました。
一方、「幸せの定義は人それぞれ違う」という考え方もあります。クリエイターの中には、「いやいや、作品制作のためなら他の全てを犠牲にできる」という価値観で、ともすれば破滅的ともとれる生き方を選ぶ人もいます。実際、私にもそういう価値観だった頃がありました。
では、太宰治は幸せだったのでしょうか。
以前、知人と幸福論について語った際、太宰の幸福感について考察したことがあります(もちろん、幸福は他人が決めるものではないという前提の上で)。
その結果、私の中で明確になったのが、以下の内容でした。

簡単に解説すると、科学的な幸福の条件と、自分の主観的な幸福が明確に一致する場合、幸せであるか不幸であるかは、誰から見ても明らかですが、そこが一致しない場合は、かなり主観的で偏った幸福しか得られないということです。
ちなみに②と③の領域に関しては、心理学的には「認知の歪み」と呼ばれていて、少なくとも持続可能な幸福感は得られないことがわかっています。一時的にしか満たされないから、渇望するように幸福を求め、ようやく手に入れた幸福もまた、すぐに消え去るから、麻薬中毒患者のように幸福を求め、すがるようになります。
もし、太宰が「いい作品を書く」ということに幸せを見出していて、そのために他の全てを犠牲にしていたのなら、この表で言うところの③の領域だったと想像できます。
②と③の領域の人たちが、自分で胸を張って「幸せだ」と言えるのであれば、他人が口出しするのは無用でしょう。しかし、①の領域に入るための方法論もまた、かなりの精度で確立されています。それが、カウンセリングやコーチングという領域ですね(弊社もカウンセリング、コーチングやってますので、ご興味ある方はコチラからお問い合わせください)。
今までの私なら、「幸せとは何か」について問われれば、この表のことだと答えていました。ところが、この表のどこにも当てはまらない人と出会ってしまったのです。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者となった友人と再会した。
大学時代の後輩であるMとは、教育関係者ということもあり、数年に一回は連絡を取り合う関係でした。私の結婚の報告だったか何だかで、電話した際、共通の友人であるKの話になりました。Kとは、Mの結婚式(約10年前)以来、会っていません。
私「そういやKって最近どうしてんの?家近所やろ?」
M「あぁ、彼ちょっと体調崩してて……。」
話を聞くと、数年前にALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、3年ほど前から人工呼吸器を使用していて、顔の筋肉以外はほとんど動かせない状態ということでした。
ALSと言えば、ホーキング博士の病気